BIOGRAPHY
張 大順 (ちょう たいじゅん)
甲骨文書道の第一人者。篆刻家、書画家。
1962年西安生まれ。別名 長安大順、千代大順、一頁、陳子、若水。号 痴墨斎主、古心堂主、亀歩斎主。
中国語言文学学士、西安交通大学人文学院書法史論修士課程修了。
曾て関維陽、李子青、傅嘉儀、鍾明善、韓天衡、王宇信先生に従師する。
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中国美術学院高級研修班ホームページ『甲骨文書道界的領軍人物——張大順』より抜粋
張大順(ちょう たいじゅん)は当代甲骨文書道界の領軍人物の一人、 “日本書壇甲骨文書藝研究・表現第一人者”として近年来、甲骨文書壇が注目している一つの重要な行い、即ち――「甲骨文書道は伝統書道芸術の濫觴であるが、伝統書道芸術とは同等でない。甲骨文は自身に発展的な規律を持ち、自らが体系的な漢字書(刻)写芸術を備えている」という高度な理論と実践を大胆かつ明確に示した。「甲骨文書道は伝統書道とは別の一種として、甲骨文自身に独特な要素的書道体系的な観点と主張を持つ」としたのが、張氏が20年余りに渡り亀骨書刻文辞に潜心し、合理的な研究、解読、大胆な探索、甲骨文芸術の特質と規律を実践して得た集大成である。
これらは主に、甲骨文の帰納・総括・創新、甲骨文特有の“直入直出”、臥筆引鋒という筆法、文字の組合せとなる“八非法則”、“八十八種”ある書式、朱・褐・黒の三色からなる墨法、甲骨四線(天・地・人・物)という甲骨文本質の特徴、そして甲骨文正書・行書・合書三体の芸術表現等々を支える理論に表現されている。この斬新な理論と観点はある程度、伝統書道の理念と表現方法に距離を置くものとなったが、それよりかは、甲骨文自身の特性と伝統書道の文化背景、そして甲骨文が置かれている環境等の角度から見れば、甲骨文は中国書道史上の地位において一つの新しい解釈と評価を作ることができ、長い間“伝統書道で甲骨文書道を書く”と進行していた誤解を是正、明確化し、“本来の甲骨文書道に帰る”という新しい探索を提唱した。これゆえ、この理論は高い所から全局的に甲骨文自身発展の道を創り出す一つの新しい指南であり、当代の歴史的探索の意義を備えるものである。甲骨文書道界の高い注目と評価を得ているのだ。
張氏は、この理論を主張および堅持し、伝統書道の否定ではなく伝統を認め、伝統を継承し、伝統を完善し、そして伝統を創新している。
また、張氏は甲骨文書道理論に力を注いでいるだけでなく、著書での立説、新しい知識の探索,同時に甲骨文書道の普及と推奨を重視している。展覧会の開催、講座・教室の開設、甲骨文書道の新古典を創造する《東京宣言》の発表、甲骨文書道専門家“百人計画”の育成実施等の方法を通じて、純正な甲骨文書道を書壇に推し進め続け、新しい形式の芸術表現をイノベーションしている。
現在:
世界瑰寳藝術協会日本分会主席 世界海外華人書法家協会副主席 法國書画家協会副主席
中国甲骨文藝術学会副会長 清華大学美術学院文化傳承与設計創意中心専家委員会委員
中国美術学院古文字書法創作研究中心研究員 中国美術学院甲骨文書法篆刻高級研究班導師
陝西教育学院藝術学部客員教授 陝西硬筆書法家協会顧問 西安書学院教授
日本書鏡院参与 東洋美術学校講師 甲骨文書道亀鑑塾塾長 古代文字藝術研究所顧問
全日本華人印社副社長 全日本華人書法家協会副主席 在日中国現代藝術家協会副会長
日中書画印研究会会長 日本甲骨文書道研究会会長
--- 推薦人 ---
東瀛之薦 -----序《張大順 甲骨文蘭亭叙》
上世紀三十年代,“甲骨四堂“之一的郭沫若曽対甲骨文的書法藝術賛嘆:“卜辞契于亀骨、其契之精而字之美、毎令吾輩千載後人神往。……足知存世契文,實一代法書,而書之契文者,乃殷世之鐘、王、顔、柳也。”
半個多世紀過去了,就在郭氏曽経研究並完成了関於甲骨文的重要論著的東瀛,旅居日本十五年的学弟張大順用“毎令吾輩千載後人神往”的奇瑰且有天趣的甲骨文書写書聖王羲之的名篇《蘭亭叙》。這一壮挙,可説是対郭氏之語的一個歴史性回應,同時也是対甲骨文書法題材的一個突破。
甲骨文與日本是有着非常密切的関係的。有関資料表明,在甲骨文發現後的1907年日本文字学者林泰輔就完成了関於甲骨文的研究論文,成為日本甲骨文史上第一人;1951年日本甲骨学会成立,随後発行了《甲骨学》雑誌第一号(持續發行至1980年)。這些都給当時中国学術界以震動和影響。著名的文字学者林泰輔、富岡謙蔵、貝塚茂樹、島邦男、白川静、松丸道雄等在甲骨文字研究方面都卓有建樹,為推動甲骨文的傳播和発展做出貢献。至今保存在日本的博物館、大学、研究機構以及個人収蔵的甲骨骨片多達万枚。也是中国大陸以外的研究甲骨文的一個重要寶庫。被譽為甲骨学的奠基者“甲骨四堂”的四人中,有三人(羅振玉、王国維、郭沫若)都曽在日本之時,専攻経史、研究甲骨文,取得了学術上的重大成果。如羅氏的“由許書以上溯古金文、由古金文以上窺卜辞”的考証思想;王氏的採用称謂來断定年代及卜辞可能有時代差別観点的提出;郭氏的《卜辞通纂》、《殷契萃編》等專著都是在日本完成的。
但遺憾的是,這些文字学的研究成果在日本並未能及時轉化成書法藝術的新課題、新素材。
旅居東瀛的大順君自幼生長於長安,関中古道的甲金石鼓文化、藝術的熏陶與其大学期間的古代文字専攻,奠定了他執着于古代文字藝術研究和表現的内在基礎。来扶桑後,更是勤勉有加、埋頭致学,于教学、研究、著述、創作四者為一,触類発展。並且在不断保持中国傳統文化藝術精典的同時,注重探索和創造與日本文化藝術的多様結合,取得了可喜的成績。如在対日本假名作品用印的製作上,採用無邊変形的鳥形線質、婉轉流動的韻致,深得関西假名書法界的青睞;還有把日本片假名文字融于甲骨文表現中,為現代書法創作探索着一条新路、一種新的形式。
大順君甲骨文書法藝術的成績,従根本上講得益于両点;一是具有比較堅實的古文字功底。這是従事古文字書法的基礎和被必需。ニ是有着比較深厚的篆刻功底。這様,對甲骨文的刀筆相融的特性表現就能做到揮筆有餘、入木三分。
統観大順君的甲骨文書法藝術,在追求古典書意時,以筆為刀、直出直入、凌厲
峭爽、柔韌有剛,力顕甲骨文原始的勁健之風;在強調韻律表現時,胸中蘯意、筆随意動、八面出鋒,蓄草(書)意而行(書)出,将原始的單體文字貫以無形之氣脈,使之躍動,呈現出駿馳蛇奔之勢。在創作現代作品時,直鋒、蔵鋒併用,間或以滾筆劃竪、臥筆側鋒陳横,点画的不同形態変化、含有着豊厚的藝術表現魅力;在墨色表現上,濃淡枯潤兼施,呈現“墨分五色”之氣象,偶爾妙用“朱砂塗甲”之法、昇華作品的趣味,亦可收到“濯古來新”之效。還有,就是在構圖上多以甲骨刻辞之間残留的“黄金空白”為意象,追求字群的点、線、面的変化,與日本独特的假名書法“余白之美” 的構成有着異曲同工之妙,這也許正是其書法深受日本書道界喜愛的一個重要原因。
如此述之,既是対大順君不断努力探索的肯定。也是為同道們提供一個思路和参考。因為甲骨文書法藝術的発展和擴大,亟待我們堅毅的有志者去作殫精竭慮的頑強探索和實践。
作為大順君的古代文字「蘭亭叙」系列的第一篇――甲骨文「蘭亭叙」即将問世了,相信一定会同過去的古代文字「千字文」系列一様,為日本書壇帯來新的欣喜。
2008年6月6日草於日本東京小岩 韓 天衡
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(和訳)東瀛の薦め -----《張大順 甲骨文蘭亭叙》序
前世紀三十年代、「甲骨四堂」の一人、郭沫若は甲骨文の書道芸術を「卜辞を亀骨に契り、その契りの精、字の美、毎に吾が輩を神往せしむる。…世に存す契文は実に一代の書法を知るに足りる。書を契文する者は、即ち殷の世の鐘(繇)、王(羲之)、顔(真卿)、柳(公権)なり」と賛嘆しました。
半世紀余りが過ぎて、郭氏は嘗て甲骨文に関する重要な論著を研究し完成したこの東瀛(日本)に、日本に客寓して十五年、学弟張大順は「毎に千載後人の吾が輩を神往せしむる」という奇抜かつ天趣の満ちた甲骨文を以って、書聖王羲之の名篇《蘭亭叙》を書写しました。この壮挙は、郭氏の語に対する歴史的な呼応とも言うべき、また同時に甲骨文書道の題材に対する突破でもありましょう。
甲骨文と日本とは極めて密切な関係にあります。資料によると、甲骨文が発見された後の1907年、日本文字学者の林泰輔はいち早く甲骨文の研究論文を完成させ、日本甲骨文研究史上の第一人者となりました。1951年日本甲骨学会が成立し,その後に学会誌《甲骨学》が発行され、1980年まで発行し続けました。これなどは尽く当時の中国学界に震動と影響を与えました。著名な文字学者の林泰輔、富岡謙蔵、貝塚茂樹、島邦男、白川静、松丸道雄達は、甲骨文字研究において卓越した成果を挙げ、甲骨文の伝播と発展に貢献しました。現在、日本の博物館、大学、研究機構及び個人が収蔵している甲骨片を合わせれば、約1万枚近く、中国大陸、台湾以外の甲骨文研究の重要な宝庫となっています。甲骨文字学の創始者と称せられる“甲骨四堂”の四人の中,三人(羅振玉、王国維、郭沫若)は嘗て日本で甲骨文を研究に取り組み、重大な学術の成果を獲得しました。例えば羅氏の「許(慎)書より、以って古金文を遡り、古金文より以って卜辞を窺う」という考証の思想。王氏は称謂を用い卜辞の時代差を図る可能性を提出し、さらに、郭氏の《卜辞通纂》、《殷契萃編》等の専門著書も殆ど日本で完成させたものです。
しかし残念ながら、これなどの文字学の成果は日本ですぐに書道芸術の新課題、新素材として取り入れることがありませんでした。
東瀛に居る大順君は西安生まれ西安育ちで、関中の古道にある甲骨、金文、石鼓の文化による芸術的薫陶及び大学期間中の古代文字専攻などにより、彼の古代文字芸術に対する研究と表現の内なる基礎を築き上げられました。扶桑(日本)に来られた後、更に勤勉し、学問に埋頭します。教学、研究、著述、創作と四位を一体化させ、互いに深めることになりました。また中国伝統文化芸術の優れた典籍に拠りつつも、日本文化芸術との多様な融合を探索し,新たな風格を作り出すに力を入れ、喜ばしい成果を収めています。例えば日本の仮名作品の落款雅印を作るには、無辺の変形鳥型線質で婉曲、流麗なる味わいと構図で、関西の仮名書道界に深く愛されています。また、日本のカタカナ文字を甲骨文に取り入れて表現し、現代書道の新たな道と形式を創出に検索しています。
大順君の甲骨文書法芸術の成果は、三つのところから決定的にその益を得ているように思います。その一つは比較的堅実的な古代文字の基礎を持っていることです。これは古代文字書道に従事するために必要な基礎であります。その二つは、堅実的な、奥深い篆刻の基礎があったことであります。故に、甲骨文の刀筆と筆意の特質に対する表現が思いのままにできる。その三は優れた芸術的素養を持っていて、伝統を重んじながら、伝統に縛られず、能く伝統の中から変化を求め、新しいものを作り出し、異なる芸術表現形式を探索することです。
大順君の甲骨文書道を全体的に観ればわかるように、彼は古典的な書く方法に従うと同時に、筆を刀にし、躊躇なくさばき、凌厲にして爽快たる、柔韌にして剛あり、甲骨文原初の勁健たる風格を力強く表しています。韻律を強調する際、胸中に意を蘯然し、筆は意に随って動き、八面に鋒を出します。草書の意を薀蓄しながら行書の筆意で書き出し、奔馬と雲龍のように躍動させ、まさに原初の単体文字に無形の気脈で貫こうとしているように感じられます。また、現代作品を創作の時、直鋒と蔵鋒を併用し、その間に筆を転がして縦画を、筆を伏して側鋒で横画を書きます。点画を変化させ、組み合わせる造形には、豊かな感情表現の魅力が感じられます。さらに、墨色の表現においても、濃淡、枯潤を上手く施し、“墨に百彩あり”の気象を表しています。偶に巧みに“朱砂塗甲”の法を用い、作品の趣を昇華させ、これもまた“古を濯ぎ新を来たす”の効果を収めることになります。それ以外に,造形の上においては甲骨刻辞の間に残留する“黄金の空白”を多く用いることで意象を作り出します。字群の点、線、面などの変化を追い求めるところが、日本独特の仮名書道における“余白の美”の造形とは異曲同工の妙を得ています。これは日本書道界に好かれた重要なポイントであるかもしれません。
このように述べたのは、探索の努力を惜しまず大順君に対する肯定でもあれば、同道の皆様に新たな構想と参考を提供したいことでもあります。甲骨文の書道芸術のさらなる発展と広めるには、有志者の「精を殫き、慮を竭くす」よう頑強な探索と実践は不可欠でありましょう。
大順君の古代文字「蘭亭叙」シリーズの第一篇――甲骨文「蘭亭叙」はまもなく世に問うことになります。既に出版された同氏の古代文字「千字文」シリーズと同様に、日本の書壇に新たな喜びを持たせるに違いないと私は確信します。
2008年6月6日草於日本東京小岩 韓 天衡